連れづれなるままにアジア

はじめまして。アジアを中心に旅行していますがヨーロッパやアメリカに行ってみたいです(いついけるかは不明です)。※去年からの旅行記が未完のものを含めて多少あります。※※ブログ初心者なので拙い表現が頻出されます(気をつけねば(;´・ω・))

デリー観光 朝~昼~夜

 

 ニューデリー駅発の高速快適な列車に2時間揺られ・・・

着いたのはアグラフォート駅(通称AF)。

インドにはアグラ○▲駅という名がつく駅が数駅ある,なぜかは知らないが。

 AF駅を降りてすぐ洗礼(インディラ・ガンディー国際空港前の客引きタクシーの団体)を受けた。そこからなぜか我々を日本人と見抜き,タクシー案内所(そこのところでは、ツアータクシーということで○時間で▲か所か遺跡・世界遺産・観光を回るというプランができており、あらかじめドライバーとのトラブルに巻き込まれないようになっているみたいだ)まで連れて行かれた。こういうシステムは良いと思う。

 

 が,みんながみんな肌の色が黒くてフレンドリーで怪しいので油断できないと思った。案内所につくと,裏側に連れて行かれ,表に書いてあるプランで「タージマハル」「ファーティブル・スイクリー」「アグラ城」「スィカンドラー」の4か所を回って2000Rs.だったかな??ただこれは運転手1人の場合だから,これにガイド料金が発生したりするのか不安だった。まだ気が抜けない,気を抜くと負けだ。

 

  1つ目の観光地「タージ・マハル」の入り口に到着しました。10年前と大きく違うところは2つ,1つは舗装された道路と歩道。ここは舗装されていなくてガタガタだったらしいのです。今ではまっすぐ(インドではきれいな方)舗装されていました。ですが、ところどころに動物のフンが落ちていたのでショックでした。しかもできたてホヤホヤのやつ。水分多めで・・・・・いやあぁ!!歩いて行ってるはずなのに妙に朝もやが消えないのはなぜだろう?日本で見たサイトにはその人の持つインドについての主観が書かれていたが「この時期:乾期はよく滞留する」と書かれていたことを思い出したが滞留しすぎだよぉ・・・とか思いつつふと見ると野良サルがいた(@_@)!?

世界遺産とサルなかなか連想できないが分らなくもない・・・

なぜならここはインド。ラクダがいても何らおかしい話ではない。話を戻そう,「タージ・マハル」は[ムガル皇帝の第5代皇帝のシャー・ジャハーンが自分の奥さんのために22年費やして建てた白亜のお墓。地球の歩き方より一部引用]そして正門をくぐるとそこには霧か靄かはっきりしないぐらい霞んで見えるタージマハルが静かに我々を見下ろしていた。ガイドさんが言うにはこの大理石は人でもなく船の力でもなく,動物・主にぞうさんの力で運び出したらしく,表面はボロボロだが中身は建てられたときと同じだと言っていた。はたしてそう言えるのか謎だった顔を見て懐中電灯を手に持って大理石の壁に当てると壁の装飾(お土産のコースターのような飾り)が光に映し出され本物であることがわかります。という説明を受けて「なるほどな、奥さんへの愛情の深さがこれでわかる」と思った。テレビで何度も見てきた「タージマハル」これは実際に自分の耳・鼻・眼・口・肌の五官で感じ取らねばわからないことだろう。

 

 

 しかし,このガイドさんのことを少しぐらいは信用し・・・てはならないな!

このあと変な旅行代理店に連れて行かれるのかもしれない!!気を抜くなよ。

 

 

 次の世界遺産「ファーティブル・スイクリー」は「タージマハル」から凄く離れていました,なので一度昼ごはんと休憩を兼ねて道中のレストラン屋さん(ヴァイキング)に寄ることになりました。10種類くらいのカレーが並んだヴァイキングを選ぶ間もなく,給仕さんたちがパパッと持ってきてくれました(;´・ω・)・・・ちょっとは選びたかった・・。とは言うものの,間違ってハズレを引くと嫌だったので結果的にOKだったのかもしれない。8種のカレー(おかずも野菜中心のカレー和え)でデザートにヨーグルト(酸っぱいな)がついていてその料理の正しい名前は「ターリー」というらしい。

ちなみに宗教的な理由で肉やお酒は悪いものとされているためあまり置いてないお店が多い。けれど,僕らの席の隣が日本人の団体ツアーに同行していたおじさんは昼からキングフィッシャービールを1本飲んでた・・・いいのか?いいか,

どうせここはインドだし。

 

 

 「ファーティブル・スイクリー」はアクバル帝によって建てられたが水不足により14年で手放した。もったいない。建てるのに5年かかったというのに。いや,ただ建てるのが好きだっただけだったみたい。たぬきさん的に嫌だったのは「チェック済みの入場券を妙にしつこく狙う青年」である。あいつらシロクマさんにハエのようにたかってめんどうだったので「NO!!!!!」っとたぬきさんは怒った。

すると青年たちは「Oh,my got」と言ってそれ以上追ってこなかった。

これが宮殿地区の観光である。どうやら我々は正規の門ではなく裏口から入っていろいろ見たようだ。宮殿地区にいたサドゥーのような爺さん(ニセガイド)は高額の金を要求してくるため無視するように,っと言われていた。どうやら我々を案内してくれているガイドさんは怪しいけどその辺のガイドよりも親切なのかもしれない。

少しぐらいは信じてやるか(o^―^o)。

 

 

 「アグラ城」は,石畳の坂が正門前まで続いており,その坂は滑りにくいようにちょっとした工夫が施されていました。また赤い砂壁の2重構造で,万が一敵が1段目を突破しても,2段目までは到達できないとされていた。それは1段目と2段目との間に大きな溝があり,侵入した敵を放し飼いにしてあるクロコダイルを使って殺すことができ戦場において抜群の効果を示すことができた。そうした強固な防壁の内側では居住区から1歩出ることを渋ったので居住区内に葡萄酒の原料となる果樹を植えて果樹園にし,商人を呼び寄せてバザールを開いたりして14年の短い間過ごしていた。そんな中でとある悲劇が起きてしまった。

 

 

 それはアクバル帝第5代皇帝こと,シャー・ジャハーン(父)の皇位を狙っていたアウラングセーブ(息子)が皇帝になる争いを兄弟間で行い,みごとアウラングセーブが勝つと父をアグラ城内にある「タージマハル」が見える牢獄に幽閉されてしまう。その後8年もの間出ることを禁じられ牢獄内で命を引き取った。

 

※スィカンドラーは省略します※

 

 

初めての寝台車バナラシ編

 寝台列車を待つためにアグラフォート駅まで送ってくれた優しいガイドさん,また逢えたらいいね(´∀`*)。そこからアグラ・フォート駅に入るまでは楽だった。あの超いい加減なゲートでセキュリティー検査をして終わってしばらく電車を待つことにした。電車の構造が酷くて,シロクマさんは難なく大丈夫だったが,たぬきさん的にはけっこうつらかった。おそらくシロクマさんが登っていると旅先で故障すると思ったから気を遣った。本人には内緒だが。息苦しくて,暑かった。もあもあしていた(;´・ω・)・・・本当に寝れるの?検察のおじさんが現れた。

 

検察のおじさん「キミは何番かね?ん?」

たぬき「たじたじ・・・・」

真向かいのおっさん「その辺にしとけ,この兄ちゃん疲れてるんだし。たぬきはんも寝ていてええぞ」という感じに聞こえた

(本当に助かった・言葉がなくても通じる瞬間を体験した。やはりインドは凄い),

ありがとう真向かいのおっさん。しかし狭い・揺れる・うるさい・足元から聞こえるおっさんのいびきうるさい!眠れずにいると止まるはずのない駅にとまった。どうやらインドの鉄道は単線が多く,すれ違いのために止まるようだ。2時間後このぐらいには着いているだろうと思ったがまだだった・・・

 

 

 あれれ?おっかしいな・・・まだ着かないの?しかし車内に変化があった。大多数の人が降りて行ったのだった。およそ7割ぐらいの人が降りたのであろう!!やったぁ!これで下段に降りて楽できると思った。苦しかった・・・しかしインド人もあまりバナラシに行こうと思わ・・・・・・いやお上りさんだったのか。

 

 

 東西南北にインドは広がっていて我々は北インドからやってきたので南から来る人もいれば西から来る人もいる。インドは昔イギリスによって鉄道を未開の地へ敷いていった。ただし地下鉄のようにオール電化できていないので先頭車両がすべての車両を引っ張るタイプ。日本の寝台車と違うのは,通路が異様に狭いこと。そして2~3段ベットであること。トイレが汚い。我々が過ごしたのは窓付きの車両だったのでまだマシだが,これが窓なしのスリーパークラスだと本当に地獄を見たと思う。だが満杯の列車ではなく,少しの人だけになったからそれだけで空気の淀みがなくなった。ここからが空腹と退屈な時間の過ごし方への挑戦が始まる。そんなたいそうなものではないが,到着するのに3時間30分かかるとは誰も思ってないことでね・・・

ホームに牛がいるとか,

ホームから無断で乗ってきて我々が日本人であると分かった瞬間に売りに来るとか,

ホームをオートバイが走るとか。とにかくいろいろ大変だった。

 

 無事についたら駅の連絡橋にいたオートリクシャーのおじさんその②が出張っていた。異様なしつこさがあり,ハエのようだった。が何とかしてシロクマさんが払い除けてくれたのでホームから地上へと行くときに驚いたのは色鮮やかな電光掲示板と澄んだ空気!!そしてここでもインドの洗礼!しかし,この日は元日。インドではあまり重要視されいないのであまり関係なかったが,我らを乗せてくれたおじさんその③は目的地からだんだんと離れていたので少し不安だった。すると到着したのはガソリンスタンドだった。どうやらギリギリであったためか真相はわからないが運転手にガソリンスタンドの人から何かを手渡しでもらい運転席前の金属製のボックスに何かを入れていた。お弁当かな?そこからようやく移動したと思えば交差点近くで止まった,怪しい感じの事務所だったのでまた「騙された」と無意識に思った。だが,オートリクシャーのブレーキオイルを補充するための安いオイルを入れておきたかったそうだ。なんと自由なんだ!だが空気はデリーに比べて澄んでいるものの,汚いのには変わりなかった。だがここからホテルまでの道がつらく,そこから先の話もひどい目にあう・・・。

 

 

 

 オートリクシャーも行くことができるのは,ごった返した交差点まででそこから先は行くなと見知らぬ青年に注意された。時々思うが,インド人は厳密なのかそうでないのかよくわからなくなる。交差点は大渋滞であの狭い空間に人・牛・オートリクシャー・サイクルリクシャー。交通インフラが整っていない中で交差点の中心に警察の人か?軍人の方が信号の代わりを担っていました。

 

 ここから先はシロクマさんの記憶を辿ってホテルまでを目指しました。道中,すごくつらかったのは足元の不安定さとウシさんです。( ・´ー・`)←このような顔で居座っているので非常に歩きづらかった。そして坂になっているので上りもつらいうえに,あの狭い路地をキチガイのように走り去るバイク・・・カオスの一言で片づけられないのがこの国なんでしょう・・・。

 

 

 今回泊まるホテルは「アルカホテル」。10年前,シロクマさんとヤギさんがここを訪れたという。ガンジス川に面したホテルの中でも,ロケーションはNo.1を誇る・・・らしい。だが夕日が霞む謎の現象,しかしガンジス川,後で聞いた話だが,このガンジス川には「ガンジスカワイルカ」という盲目のイルカがいるらしく,色がレインボー(嘘くさい)だという。そのガンジス川の対岸に見える砂地は「不浄の地」と呼ばれる場所で,乾季になると顔を出し,雨期になると水かさが増えるため沈んでガンジス川が広くなる。また,ガンジス川沿いには火葬場が2か所ある。上流と下流に1つずつ。普通一般的には,火葬場は火葬場があってこそだが,ガンジスの聖なる浄化作用を使って浄化させているようだ。科学的根拠や説明ができないのはインドではよくあることだろうと理解できるようになってきた。だが,ほんとうに理解したかといえばどうなのだろう?よくインドに行けば「人生観」が変わるなどと言われるが本当なのだろうか?でもインドに来る前と違って何かしら自分の奥底で芽生える。

 

 

 アルカホテルで「ターリー」という美味しい(*´ω`)晩御飯をガンジス川の見えるテラスから眺めながら食べているとシロクマさんが「ここは10年前にサルがやってきて危なかったんだよ」と言うのであたりを目で確認すると居た・・・となりのホテルの屋上に。。。こわいから目をそらして目の前のごちそうに集中した。

 

 

 夜は「プージャ」というお祭り(悪霊退散)を見るためにガンジスガンガー沿いを歩く(この後予想だにしない展開がッ!!!)はずが,シロクマさんのおかげでなんとあのガンジス川上でボロボロで今すぐ沈みそうな小型の手漕ぎボートで河側から見ようというボート漕ぎのおじさん(キツネさん)の案に乗ったという。たぬきさんはシロクマさんを憎・・・まずに心の中にしまっておいた。「はぁ,もぅまぢ無理・・・」と絶望したのでボートでの体験は新鮮で恐怖に満ちていた。そしてプージャーは感動できるイベントでした。しかし,終わってみていくつか疑問が沸き上がってきた。

 

 

1.

キツネさん「あなたたちは煙草を吸いますか?」

我々「「いいえ」」

キツネさん「そうか、あなたたちは賢いんだな。あれを吸うのはよくない」

シロクマさん「なぜ?」

キツネさん「あれは吸えば吸うほど肺が悪くなる、健康を損なうからだ」

という会話をしていたのにプージャーの最中にチラッとキツネさんを見ると口がもごもごと動いていて手元をチラ見すると「噛みたばこ」がしっかりと握られていた。よく分らないがおそらく自分で話している間に噛みたくなったのであろう。

 

 

2.

キツネさん「私は食べたいという欲が無いんだ」

たぬきさん「それはなぜですか?」

キツネさん「これが(おもむろにシャツを開いて指でさし示した)そうなんだ」

たぬきさん「(;゚Д゚)!?」

キツネさん「手術で胃を小さくしたんだ、だからどんなに稼ぎが小さくても死ぬことはないし、デリーにいる出稼ぎの人みたいに多くはいらない。あなた方からはもらえなくてもいい。デリーは必要以上にお金を稼ごうとしていてトラブルが絶えないからな。」

っと言っていてもキツネさんは多く取ろうとした。

いろいろ謎が多くて変だなと思った。

 

 次の日、朝起きるとシロクマさんがゴソゴソしていた。出発は夕方だが朝に散歩に行きたそうな感じだったので,身構える前に外の様子を伺いにトイレに行った数分して戻ってきたら「まだ霧がひどい」と。たぬきさんはトイレに行くと言って外を見ると向こうに人影がうっすらと見えたけど、すれ違うまでわからない,と思ったそうだ。この霧には人が焼けた跡のすすやごみを焼いた灰,インド中の汚れた舗装されていないところから舞い上がったチリ・ホコリがガンジス河に集まってきているんだと,鼻をかんだ時に分かった。ドス黒いのでよくわかった。鼻が痛くはならないがショックを受ける。日本人はきれいな所に住みすぎてこういう事態になったらすごく動揺する。ちょっと晴れるまでまた寝た( ˘ω˘ )・・・1時間はたったのだろうか?何時だったが分からなかったが,朝ご飯を食べにテラスへと向かいシロクマさんおすすめのチャイと焼きサンドウィッチを注文した。すごくチャイが美味しくてホッとした。そのあとここに来るのが最後になるかもしれない細い路地の突き当りにある町中にあるチャイ屋の煮詰めるチャイを素焼きの小コップに入れてシロクマさんは10₹払って飲んでいた。素焼きのコップは土に還るので環境に良いとされて露店で売られている。葉の皿もそうだがインドは一足先を行くような気がする。だがそれも衛生的によくないとされて今ではアルミの容器に変わりつつあるらしい。

 

 

 朝から参道その他の曲がり下った路地を歩いて観光していたけれど,昼になってどの店がいいのか分からなかったのでシロクマさんがひょいと入った謎の店?ちょっといい食堂に入った。ガラガラだけど日当たりのよすぎる暑い窓側に座るように言われたので渋々座った。風呂に入らず我慢していたのでガリガリと頭を掻きつつメニューを見た。たぬきさんはメニューが分からなくてもしっかり火が通った安心できそうなベジビリヤニとジンジャーホットティーを注文。シロクマさんはスペシャルターリー的なものを注文,そして今晩のニューデリーインデラガーンディ国際空港ゆきの飛行機が欠航になっていないかを確認したが・・・欠航になっていた?!!

 

(;´・ω・)?!なんで?!

 

シロクマさんは自分のスマホを取り出して確認・・・・

・・別の便の飛行機を発見し,値段を見る・・・・・・高い。

インド人め,日本人と分かって高くつけて儲けようとしてるな?

LCCのくせに高くして・・・でもそれしかないので頼むことにした。

本当に空港に着くまで安心できなかった。これがもしデリーに行けなければ,

またあの寝台列車に乗っていかなければならないところだった・・・。

たぬきさんの心中では焦っていたが何もできない自分に

いらだちを初めてここで覚えた。

 

 

 ※すみません,ここでインド旅行記は未完となります